NO.96 溺れる魚 1








なんだか怖い人。

は学生時代から知っている三蔵・・・・玄奘三蔵のことをそう思ってきた。

学生時代に知り合った彼は、元々は 恋人の友人の1人だった。

まあ、その時の恋人が 現在のフィアンセでもあるのだが・・・・。

にとっては フィアンセを通しての知り合いと言うだけなので、深い付き合いはない。

何かの折に会えば、言葉を少し交わす程度の人にしか過ぎなかった。




ある日。

彼氏の会社の専務室で彼と待ち合わせをしていた。

フィアンセは とある会社の御曹司だ。

も大学教授の娘だから、畑は違うがご令嬢には違いない。

ただ 両親はわりと子供には無関心な性質なので、男女交際や結婚には五月蝿くは言われなかった。

それなのに は身持ちが固いと友人には言われる。

反対されない分だけ 燃え上がらないのかもしれない・・・とは思っていた。

肌を重ねた男は フィアンセしか知らない。

それも婚約してからなので、数える程度だ。

今日は忙しい仕事の合間を縫っての久し振りのデートでこうしてここで待っているのだった。

手元のバックで携帯が着信を知らせた。

取り出して耳に当てると 待っている本人からだった。



、ごめん。

仕事が長引きそうなんだ。

取引先での会議に出なくちゃいけないんだ。」

電話の向こうは外なのか なんだかノイズが多い。

「そうなの・・・・仕事なら仕方ないよね。

じゃ、今日の約束は また今度と言う事にしましょう。

まだ 早いからウィンドウショッピングでもして帰ります。

新居の家具でも覗いてみようかな・・・。」

フィアンセとは熱烈な恋愛と言うわけではない。

でも 穏やかな愛に包まれていると感じている。

約束がふいになるのは残念だが、恋しくてどうしようもないと言うのではなかった。

「それがさぁ、今夜は三蔵と一緒に食事をすることになっているんだが、

あいつの携帯に繋がらないんだ。

には悪いけど、予約した店知ってるだろ?

一人で行かせて悪いけど、三蔵をすっぽかすわけには行かない。

今度あいつの所に融資を頼んであるんだ、だから 行って一緒に食事をしてくれ。

未来の奥さんとしては、その位してくれてもいいだろう?

僕からも携帯に連絡つけておくからさ・・・な?

頼むよ。」

そう言えばなんでも叶えられてきた男は、にも甘い声を出して甘える。




はそんなフィアンセを 子供のようだと思うことがある。

それは これから会うように指定された人物、玄奘三蔵とは対を張るだろう。

「分りました。

ただ食事をすればいいんですね?」

「そうだ、頼むよ。」

携帯を閉じて深くため息を吐いた。

ああまで言われては、嫌だと言えなくなってしまう。

恋人や妻を求めているのではなく、時々 母親の代わりになる女を求められている様な気さえする。

それでも 彼を好きな事には違いない。

そう自分の気持ちを再確認して、はビルを出ると指定されたレストランへと向かった。




今夜の食事はまずいに違いない。

シェフがどんなに腕を振るってくれても あの三蔵と食べる食事がおいしいはずがない。

は胃の辺りが少し痛いような気がした。

子供ならば 仮病でも使って行かないところだが、そういうわけにも行かない。

それに融資が絡んでいると聞かせられればなおさらだ。

三蔵と2人きりになどなったことはないが、少しは打ち解けてくれるといいと

は願わずにはいられなかった。




店に着き 玄関で名前を告げると、ウェイティングバーでアペリティフを飲んでいる

三蔵の元へと案内された。

店は高級ホテル内にある フランス料理で有名な店の直営店。

は来た事はなかったが 名前くらいは知っていた。

を案内してボーイがそこを離れると、三蔵は「何か飲むか?」と 尋ねてきた。

「いいえ、後で食事中にワインを頂くので、今は何もいりません。

それより彼が仕事でどうしても来れなくなったので、今夜は私だけなのですが

それでもかまいませんか?」は そう尋ねた。

「あぁ かまわねぇ。

俺のところにも さっき 電話があった。

2人で食事をしてくれと言うことだった。

俺はかまわねぇが、は嫌なんじゃねぇのか?」

三蔵は 琥珀色の液体を一口舐めるように口に運んで聞き返した。




何か言わなければならないと思ったが、言葉を捜しているところへ

お席の用意が出来ましたと、ボーイが2人を案内すべくやってきて 会話をさえぎった。

グラスをカウンターにおいてスツールから降りると、三蔵はさりげなくをエスコートしてくれた。

婚約者はそういうことに長けているタイプだが、三蔵はそうは見えなかったので

は少なからず驚いた。

テーブルまで行って椅子に腰を下ろすと メニューが渡された。

は三蔵がどうオーダーするのか分らないので、黙っていた。

婚約者は いつも勝手にオーダーを決める。

自分がいいと思うものをにも食べさせると言う感じだ。

時々 それが押し付けがましく感じることもあるが、断れば機嫌が悪くなる。

それが嫌で はいつもオーダーを任せることにしている。

他の男性と2人きりで食事をしたことのないは、

普通がどういうものなのか ここはどうすればいいのかがよく分からない。




オーダーをとりに来たボーイに三蔵は自分の注文を告げている。

はどうする?

今日は奴がいねぇんだ、好きなものを注文しろよ。

それとも 1人じゃ何も選べないとでも言うんじゃねぇだろうな。」

そう三蔵に挑戦的な言葉を投げられては、としても黙っているわけには行かず

メニューから自分の好みのものを注文した。

それがなんだかとても新鮮に感じて は楽しかった。




食事中 三蔵とは少ないながらも会話を楽しんだ。

が知っている三蔵と言う男は いつも不機嫌そうに黙っていることが多かったが、

話してみるとそうでもないのだと知る。

そのことを三蔵に尋ねると「女よけだ。」とあっさりと言い放った。

確かに三蔵の容姿では それも無理の無いことだろうと、は思う。

背も高くて顔も美しいと表現するに相応しい、それだけならともかく スタイルも頭もいいのだ。

その金色の髪に紫水晶の瞳に惹かれない女性はいないだろう。

だって婚約者がいなければ 少なからず惹かれたに違いない。

少し怖くて気にしているという点では 逆の意味で惹かれているのだと、

自分が可笑しく思えて 思わず三蔵に微笑んだ。




三蔵がそれを見て「やっと笑ったな。」と言った。

今まで 自分は笑顔も見せずにいたのかと、しかも三蔵はそれを気にしていてくれたことに

は三蔵が思いやりのある人だと知る。

その後の食事は 和やかなものになった。

つい婚約者と比べてしまう。

それがいけない事だとは知っていても 止められなかった。



レストランを出ると三蔵は「俺は今夜 このホテル泊まりなんだ。

部屋に奴に渡す書類があるんだが、取りに来てくれるか?」

そう言われては断る言葉を持たなかった。

相手は未来の夫の友人だし、何より大事な融資先の社長でもある。

2人でエレベーターに乗り三蔵の部屋に行くことにした。

今 食事を共にしたとは言え 男性の部屋に行くのは戸惑われるが、

書類を受け取ったらすぐに帰ればいいとは思った。

ドアのところで三蔵から書類を受け取ると、そのまま帰るためにエレベーターに乗った。



三蔵も無理には引き止めようとはしなかった。

だが ホテル内とは言え 1人で帰すつもりは無いらしく「車まで送る。」と

ホテルのエントランスまで見送ると言ってくれた。

この人は本当に紳士なんだなぁと、はそう思った。

婚約者はその辺がとても雑だ。

自分の要求にはとても過敏な反応を返すが、自身のことにはそれ程の関心も示さない。

友人はそんなを見て『大事にされていないよ。』と忠告してくれるのだが、

彼に話せば喧嘩になってしまうのは見えているだけに、

は寂しそうに笑うだけだ。




エレベーターの箱を降りたところで見覚えのある後姿を見た。

今夜は 取引先の会議でこんな所にはいないはずだ。

会議の後で接待に来ているとしても 一人と言うことは無いだろう。

まして 女性の肩を抱いているなどと言うことはないだずだ。

見間違いだろうと、は思った。

だが、運命と言うのは時としてとても非常な一面を見せる。

見間違いのはずの婚約者と相手の女性が、フロントで鍵をもらい三蔵との居る

エレベーターの方に歩いてきたのだった。








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